気が付いたのは平成19年5月28日(2007.5.28)、朝の散歩の時でした。
常連の辻テイさんが「笹に花が咲きましたよ」と、大谷地の池、北側の学校林下に繁茂しているオオバザサの一群で、私に笹の花を下さいました。
昭和19年、太平洋戦争中の、私が国民学校4年生の頃、この辺り全山、笹の花が咲いて秋に実がつき、一斉に笹藪が枯れて無くなってしまったのを何故かよく覚えています。
背が高く密集していてとても中に入れなかった緑の笹薮が、その後一二年は無くなってしまったのを終戦の不安な気持ちと共に覚えています。
ヴィラTの中村さんは昭和16年に前橋中学から動員されて草津白根山へ笹の実を集めに来たそうです。
日米開戦の年、上田中学のとき、近くに成った笹の実を取りに行ったと仰る方も居ました。
草津白根山付近は3年早かったのでしょうか、そういえば2,3年前から白根山ではちらほら笹に花が咲いていると聞いたことがありました。
6月1日に参加された大宅さんは昭和18年か19年頃、新潟県の国民学校(小学校)の時、その年は凶作で、お米が蝗の大群で荒らされた後、全山笹が枯れて実が出来、学校を全校休みになって笹の実採集にいったそうです。
食糧難でしたので集めた実を臼で引いて粉にして食べたそうです。
平成9年(1998)から始めた朝の散歩で60年目に当たる平成15年春、「今年は笹に花が咲いて実がなって全部枯れます。」と説明しましたが残念ながら咲きません。
それから3年間「狼少年」を演じましたがとうとう今年咲きました。
多分この付近の全山に咲き、実をつけて枯れるでしょう。次には実生から始まるでしょう。
真竹は根が残っていて新芽が出るとも言われます。
「ハアーア会津磐梯山は宝の山よ、笹に黄金がハアマター成り下がる」の唄は明治15年頃か更に60年前の文化文政の頃出来たのでしょうか。
咲いた笹を刈って道を整備していた若い吾妻森林管理所の専門家に話しましたが余り関心を持ちません。
自分が体験していないと信じられないものです。
私は72歳で、見たのはこれで二回目です。
初めての方は是非早く見にいらっしゃい。
次は60年後になってしまいます。