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●心のなかの言葉(インナー言語)のこと

2008.6.24/中沢康治
 
 
 
 

最近、1人でつぶやく心の中で囁く言葉に関心を持った。唯一のプライバシーの世界、自分との対話、本心が言葉になる。人に悟られない世界。自分が外に向かって吐き出さない言葉で自分の声で聞こえる。泣いたり笑ったり怒ったり嘆いたり悲観したり恐れたりおどおどしたり落ち込んだり有頂天になったりあらゆる感情の動きがそこで為され自分の言葉となって頭に充満する感情のルツボだ。周辺に理性がいてそのまま外へ出すか?また中に入り込んで止めさせるか?出すのを整えてから蓋を開けるか?などしいるようだ。近所の奥さん二人が遠くで話し合っている。そうだ井戸端会議ではルツボからこぼれ出た言葉が少しおおきな鍋に入って話し合っている。決して鍋からは出ない。2年ほど遠ざかっていたゴルフをした。パットの時、心の囁き(インナー言語)は最高になった。結果はパートナーが打つ時「入るな入るな」よりも「入れ入れ」のほうが自分のパットには効果がある。人の不幸で自分を際立たせるのはスポーツマンシップにもとると理性が言い出すのでルツボと理性が混乱して指令に迫力が出ないようだ。心のささやきを止めさせ少しの間空白を作ることはできるが長くはもたない。理性がルツボに飛び込んで感情の波の頭を板みたいに抑えるのだが、もぐら叩きの様なもので波立つ感情を長くは抑えられない。偉いお坊さんも一生修行というからやはり波立つに違いない。植物ではなく動物だから心が揺れ動くのは当然だろう。凪のような心なんて不自然なのかもしれないと思っていた。ところが、五日市剛さんと工学博士の書いた「ユダヤのおばあさんが教えてくれたツキを呼ぶ魔法の言葉」というのを読んで考えが変わった。「有り難う」「感謝します」という2つの言葉だ。嫌なことがあったら「有り難う」、良い事があったら「感謝します」と口に出すというのだ。口に出すことは内部で囁いた言葉を理性がルツボの口を開いて外へ出すものなので強力な内部言語でないと外へ出てゆかない。つまり強い内部言語なのだ。嫌な事があると当然内部言語は「嫌だな」とつぶやく。われわれの理性はこの心の言葉(内部言語)を使って自分の行動をコントロールしているので「嫌だ嫌だ」とつぶやくと落ちつかなくなり、居た堪れなくなって、本当に逃げ出したくなる。ところが「有り難う」といってしまうと反対に有難いのだから逃げなくていい。落ちついて来る。例え相手が自分をやっつけるために言った言葉にも「かっ」とならないで聞ける。相手の言い分も聞けるようになる。そして有り難いとは「難が有る」から有り難いのだという。嫌な時に言う言葉に相応しい。
では、良い事があったとき「感謝します」と口に出していうとどうなるか、本心では「やった!自分の努力の甲斐があった!」とガッツポーズをとりたい。自分がやったので自分を褒めてあげたい。ところが「感謝します」は自分よりも「皆さんのお陰です」という意味だ。いくら自分が全く人の手を借りないで「やった!」と思ってもガッツポーズを作らないほうがいいという。自分の手柄ではない。協力してくれた多くの方のお陰だ。自分も親が居て生まれた。先祖・両親・兄弟・妻・子供・孫・学校・先生・先輩・友人・本・石からも教わった。自分は氷山のほんの一角。良い事があったらやはり「感謝します」が相応しい。        

 
 
 
 
 
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