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ハートの収集

草津温泉の中沢ヴィレッジに<ボン・クオーレ>(良いハート)という名前のイタリアンレストランがあります。
1985年(昭和60年)に「わざわざ捜し求めて行く価値あるレストラン」をというコンセプトで創った時、草津町がハートの形をしていると私が言い出し、中沢敬氏(清の長男・現草津旅館組合長2001年)が名付けたのですから、私のハートの収集はそれ以前から始まっていたはずです。 
1970年(昭和45年)日本で始めて兄の中沢晁三氏がペンションをこの一角に、「綿貫ペンション」と「守谷ペンション」が創った後、パンフレット作りに携わった時は、ハートに興味は無かったのは確かなので、1983年(昭和58年)頃かと思われます。

この年はリゾートマンション・ヴィラX着工、大滝の湯完成、赤城国体で大阪屋に常陸宮様来、森のスキー場・ゴルフ場完成の頃です。
私は草津中沢ヴィレッジをPRしたり、セ−ルスする責任者です。
神田の東京事務所で国鉄線の駅にも出ていない草津温泉の位置を知らせる良い方法はないかと日本地図を開いておりました。

「日本列島のほぼ中心、渋川は日本のへそといっている」「ううん無理をすれば利根川と信濃川とで囲む地域はハート型が45度傾いている」「そうだ、草津の行政区域はハートみたいな形だったぞ」と見るとはたしてハートに似ているではないか。
「こんな山のあなたに幸いが住んでいるんだ」「なに、外周道路もハート型だ」「いやあ、草津町憲章が極め付きではないか」と言う事ですっかりハートの虜になってしまいました。

 

その後、吾妻線郷原駅付近で縄文時代の土偶にハート形をしたものが発見されていた事。 ロックハート城のこと生島足島神社のご神体が日本の中心の土などのことが解かり、一層思いを募らせました。

  <草津温泉をハートで売り出そう>と決心してから18年になろうとしていますがなかなかうまく行きません。
最大の難関は、敬愛する兄、中沢晁三氏の反対でした。

ハートのイメージが軽佻浮薄だと言うのです。
昔あった「ハート美人」と言う避妊具のやなイメージが頭にあり、絶対反対というのです。
ドイツ・バートナウハイムにあるギーセン大学のシンボルに、イギリスのバーミンガム市のシンボルマークに、ドイツ・カールスルーエの感謝状に、ニューヨークのオンリー・ハーツというハートのショップのオーナ、ヘレーナ・オタビアーツさんの事・・など、欧米では良く使われており、商標権もなく、女性に好かれる、優しいマークなどと、説得しましたがとてもとても頷いてくれませんでした。

この抑圧された気持ちはハート形したものへの収集となって現れたのでしょう。
始めは1992年、テルメテルメ担当で草津に単身赴任し、その一室にありましたが兄晁三の反対で移動しました。
その後、兄は「草津について」の講演中に心臓(ハート)発作で倒れ今は療養中ですが、残念な事に若干障害が残り反対されないのが反って寂しくなりました。

パリで無理して買ったハートの腕時計は8時10分(はーと)をさしています。
友人や知人家族から贈られたものもあります。
ボン・クオーレ1階にある何百点かのハートのコレクションは、こうして生まれました。
ハートのコレクターは海外には多いようですが、日本にはあまり見かけません。
同志のご連絡をお待ちしています。
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