日本三大名湯の始まり
日本三古泉と日本三大名湯の違い
いろいろな温泉関係の雑誌やその他の出版物、また旅行会社のパンフレットなどを覗いていると大変これが誤解されていることが多いのに驚きます。
私はこのサイト内でこの地の開祖についても少し述べていますが、決して草津温泉が日本最古参の温泉地であると言うことは申しておりません。
また、日本三大名湯と日本三古泉とはまったく別の物でありそれを混同している旅行会社のパンフレットを発見いたしましたが、あれはいかがな物かと思います。
私は、ウエブサイト「日本三大名湯・草津温泉」をご覧になられる皆様にあらためてその辺を誤解無くお伝えするためにこのページを書き上げました。
どこでどんなことを言われても、草津温泉は「日本三大名湯」と言うジャンル(?)に属しているのであって、日本三古泉とは違うのです。尤も、「日本三大名湯」と言う呼称さえも後々の造語であるようです。本来は「日本三名泉」というのが文献などに出てくる本当の呼称であるようです。
ちなみに日本三古泉とは私の調べました限りでは、白浜・有馬・道後の三カ所であると言われています。
白浜とは、千葉と和歌山にありますが、本来の三古泉になっている温泉地は南紀白浜と呼ばれている場所でもあります。
この白浜に「牟婁の湯」(むろうのゆ)と呼ばれる温泉があり、これが、「日本書紀」や「万葉集」に依って幾度と無く記述されております。
正確には、白浜湯の崎と言うことになるそうですがその地名の遍歴については私の知る限りではありません。
◆和歌山県白浜町のサイトへリンク
◆兵庫県有馬温泉旅館組合のサイトへリンク
◆愛媛県道後温泉旅館組合のサイトへリンク
日本三大名湯の名付け親
それでは日本三大名湯とは一体どこでどの様に決まってしまったのかと言いますと、これは時代もずーっと後になった江戸、徳川家康が全国平定をした後のお話しとなります。
この徳川家康に仕えていたいわゆるお抱え学者であった儒学者の林羅山が選択した物でありました。
当時武家社会では儒学が盛んに学ばれいわば国学に近い物であったとされています。
この儒学が長く日本人の意識下に浸透してある種の国民色を作り上げたとも言われていますから、儒学恐るべしと言ったところでしょうか?
ちなみに武家階級の道徳とも言える教書に「葉隠」と言う書物があります。
出過ぎず、遅れず、有言実行等と言うことはどうもこのあたりが出所であるようです。
余談になりました。
さて、その林羅山は何でも殿様から「日の本の国でワンツースリーを選んで述べよ」とでも言いつけられたのでしょうか、さまざまな1.2.3を選定しています。
その中でもつとに有名なのが「日本三景」でしょう。
安芸の宮島・天橋立・松島を指して言うそうですが、これも実は林羅山の弟子が全国を歩いたときに見た物だとか?
まぁ、結局現代的には観光地を売り出すための格好のプロデュース材料となったことは言うまでもありません。
とにかく、有馬・下呂・草津と言う温泉地がこの三択に残った温泉地であり、その後ずぅーっと日本三大温泉はこの三カ所を言い表すこととなったようです。
ところが観光案内やその他の印刷物が発行されるたびに正調三大名湯は変更され、様々な温泉地が名乗りを上げ、私もこれを調べるまでは一体どこがどうなのかと言うことについて大変翻弄されたことは事実でした。
皆さんもここでハッキリと覚えて置いて下さい。
現在はどうであれ、事の始まりとして「日本三大名湯」は有馬・下呂・草津であったと言うことです。
まぁ、いずれにしてもこの草津温泉だけは時代が変わろうと編集者が変わろうと(笑)どんな文献、パンフレットを見てもその地位が少しも揺らぐことが無く現代まで伝えられたことは幸いとしか言いようがありません。
元祖日本三大名湯は順番が違った
もっとも、これ以前に日本三大名湯を称した人があり、これを林羅山は模して自分の思うところあって並べ替えたのだという説もあります。
これについては以下の一説が有力です。
「本邦六十余州毎州有霊湯其最者下野之草津津陽之有馬飛州之湯島三処也」 万里周九(
正長元年(一四二八)〜没年不明・室町時代の半僧半俗の詩人)が延徳三年、1491年8月に関東へ旅をしての帰り道に立ち寄った今の岐阜県下呂温泉で二十数名の供の者と一緒に書き残した文献に記されていると言うことです。
また、当時の正確な下呂温泉の地名は「益田郡下櫓の郷」と言っていたようで現在とは字が違っていたようです。
このような様々な「言われ」の歴史があって現在の日本三大名湯があります。
どうか観光会社の方やホームページを作られる方もできるだけこの辺の史実に関してはご配慮を頂き、それぞれの観光地の正確な知識をお持ちいただきたいと思う物です。
◆下呂温泉のサイトへリンク
■大恩ある林羅山の墓地について
国指定史跡でもある「林氏墓地」は、東京都新宿区市谷山伏町にあり、もとは林家の別邸であったとされています。
毎年11月に林家より買い取って管理している新宿区によって一般公開されているそうです。
また、現地出張での林羅山についての解説などを新宿歴史博物館が担当して行われているとのことですので近くの方で興味がある方は出かけてみるのも良いでしょう。
◆東京都新宿区のサイトへリンク
◆東京電力(株)東京西支店・林氏墓地のサイトへリンク
著者編集後記
草津温泉では町制100周年の記念行事として2000年度に「温湯御用行列」を行いましたが、本年度から年中行事として敢行するとのこと、できましたらこの「日本三大名湯」に草津温泉を指定してくれた大恩ある(笑)林羅山ゆかりの地に参拝しても良いのでは・・・などとつぶやく管理人でありました。。。ぼそっ(-。-)
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